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インド太平洋PodCafe2020年12月21日(月)インド太平洋開拓史第二章

司会進行 明成社編集部 和田浩幸

「第2章 西洋の植民 誰が最初に太平洋を分割したか?」質問事項

回答は赤で。PodCafeでは真面目に答えました。

 

1p31~スペイン、ポルトガル、オランダの植民と、今日の中国の「一帯一路」

・先進国の思惑と、それを利用する途上国の指導者の姿を描いて頂いています。これらの植 民政策と中国の「一帯一路」について、どのような点から重なって映るとお感じですか?

スケールがちゃうねん。

サラゴサ条約は、日本を真二つに分断するものでした。日本も太平洋の島々同様に支配さ れる危険性がありましたが、回避できた要因等について。

それ勘違い。

・教科書記述で、トルデシリャス条約の認識の誤りについて。

当時の世界地図の認識を認識せにゃあかんのよ

・太平洋の植民政策において、東インド会社が果たした役割について。

どの東インド会社

3「15 世紀以降の植民地獲得競争」と今日の国際情勢

p34 イギリスやフランスが太平洋に未だにこれだけの影響力を残していることは案外知 られていないように思います。

・今日、英連邦・英国女王を君主に持つ島嶼国と、本国イギリスはどのような関係性ですか

やっぱグローバルブリテンでしょう!

・また、イギリスは太平洋諸国にどのように関心を寄せているのでしょうか? コロナ禍の 影響で、「脱中国」の傾向が見られるとの分析もありますが(岡部伸『新・日英同盟』)、 早川先生はイギリスの動きについてどのようにお考えですか?

オーストラリア、ニュージーランド頑張っているがインド太平洋は限りなく広い!

※フランスについてもお伺いしたい。

南極権益、海洋権益、でも結構海洋パワーでヘタってる

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マルティン・ベハイム(Martin (von) Behaim、1459年10月6日 - 1507年7月29日)は、ポルトガル王に仕えたドイツ人天地学者天文学者地理学者探検家である。ウィキより

コロンブスが参考にしたであろう1492年に作成された世界地図。

コロンブスが、スペイン、ポルトガルが手に入れたかったのは黄金の国ジパング。しかし実際に見つけたのはスパイス諸島のモルッカ諸島。ここの領有権を巡ってポルトガル、スペインの競争が、オランダ、英国と繋がっていく。倭寇もこの一帯を抑えていた、とどこかで読んだ記憶が、あるが思い出せない。

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Münster, Sebastian, 1489-1552. 1550年?の地図
バスティアン・ミュンスタードイツ語: Sebastian Münster1488年1月20日 - 1552年5月26日[1])は、神聖ローマ帝国地図学者宇宙誌制作者、キリスト教ヘブライ学者英語版。1544年の作品『コスモグラフィア英語版』はドイツ語による世界の記述としては最初である。 ウィキより

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サラゴサ条約につながる、マゼランの主張した子午線。スペインがポルトガルからお金を受領し、実際には東経141−144度あたりに引かれた。モルッカ諸島よりかなり東。これが現在パプアニューギニアの国境と重なる。

 

和田浩幸さんがくれた教科書のコピーの間違い、言い忘れました。サラゴサ条約は東経135度ではなく141-144 あたりで合意されたのです。よってこれが日本に伸びると北海道あたり。教科書にある135度というのは1494年のトルデシラス条約で大西洋に引かれた経線の地球の反対側の数字です。ただ同条約が締結された時は地球の裏側の様子がわかっていなかったので、詳細はかかれませんでした。なおサラゴザ条約で合意された東経141−144の西側はポルトガル領のはずですが、フィリピンをスペインが領有することにポルトガルは異を唱えなかった。モルッカ諸島の領有権はそれほど重要だった、と言えるかもしれません。