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<平間洋一先生追悼>『第一次世界大戦と日本海軍ー外交と軍事との連接』(5)

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第三章太平洋における軍事行動と日米関係

この章は第三節の「南洋群島の領有と日米関係」しか読んでおらず、今回初めて一、二節を読んだ。

 

第一節は「巡洋艦浅間のマグダレナ湾座礁事故と日米メキシコ関係」

まさに日米独メキシコ4カ国の情報戦の詳細を知る事ができる。複雑過ぎて理解できないが、ドイツの情報戦で関係が一気に悪化した日米関係は、虚報がわかったからと言ってそんな簡単に修復できないということ。

その中でも興味をもったのはマグダレナ湾(下記に地図)で繰り広げられていた浅間座礁事故の情報戦の背景に「鮑」があった事だ。現地のラ・ペスカドラが保有していた漁業権がメキシコの内乱で失われ日本企業のMK漁業に。それで反日記事を書かせた、という分析。この背景にははやりドイツの影響があった、と。難しいのは各国一枚岩ではない事だ。

特に米国はウィルソンになって対メキシコ政策を180度転換し、これに前政権を支持していた日独がぶつかる形となった。勿論メキシコ国内もさまざまな勢力が入り乱れている。

二節の石井ランシング協定も不可解な協定だ。米国は1917年以降の5年間で156隻の大艦艇を建造。これを無気味であると日本側は認識していたし、他方日本が確保していたインド太平洋の制海権は連合国の勝敗に影響力を持ち、独米の対日政策は揺れていた。米国はドイツが去った後の太平洋の派遣を日本に取って代わられ、対日脅威論が米国内で強まって行く様子が書かれている。現在の中国の膨脹とどう違うか?

第三節の南洋群島では日本の太平洋諸島の軍事化を避ける為にウィルソンはパリ講和会議でC式委任統治領を提案し妥協した、とある。1922年のワシントン条約でもさらにヤップを巡る日米条約を結んでいる。さらに米国は1923年に海兵隊司令部のエリス中佐を日本、パラオに派遣し情報集を行わせている。そのエリスはアル中でパラオで死ぬのだが、この事件を巡ってもさらに日米関係はこじれるのだ。

第一次世界大戦が日本の火事場泥棒と主張する論文や記事を読んだ一般の人に気をつけてもらいたいのが、日本が南洋の軍事化を進めるのは満州事変以降、連盟脱退、さらに1936年のワシントン条約失効以降であり、それまでは漁港など商業開発しかしてこなかった事実がある。これは矢内原の南洋群島研究などを読まないと理解できない。平間先生の本はそこまで書いていない。

そしてもう一つ重要なのがハワイを中心に移住した、主に瀬戸内海や紀州の漁師達が米国本土かた政治的脅威に観られる程水産業を拡大していた事だ。

立命館大学の小川真和子教授が最近出したハワイの本を次に紹介したい。

 

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