インド太平洋会研究会主催「横井小楠殉節地の碑掃除プロジェクト」
京都市長選候補のニノ湯しんじさんが来てくれました。
お天気が良かったのでこの日を選びましたが、北風が吹き付け、老女は到着した時点で既に後悔。
小楠の好きな肝心のお酒も忘れた。
なぜここにニノ湯候補が?
ガダルカナルの戦いに始まります。
戦後75年。日本人はガダルカナルの戦いで思考が止まり、現在のソロモン諸島、メラネシア地域、太平洋島嶼国の事を知らない、知ろうともしない。
ソロモン諸島が台湾から中国に外交関係をスイッチした2019年9月から、インド太平洋研究会の中にメラネシア研究会を設置し、情報収集と情報発信を行なってきました。
その中で一貫して親台、反中の姿勢を崩さないマライタ州スイダニ知事と知己を得てインド太平洋研究会として日本に招聘することになりました。実際は中国政府をバックにした現政権からあらゆる手段で濡れ衣を着せられ知事の座を追い落とされ、さらに冤罪の可能性もあったのです。アジアの反政府リーダー達を匿った頭山満の心境でした。
10月1−16日まで京都を中心に来日された際、日本の農業、過疎地問題見学にもなるし、比較的近い綾部を訪ねることに。以前からFB友達の四方源太郎議員に同じ政治家なのでご挨拶だけでも、とご連絡したところ、なんと2日間に渡りまるまる面倒を見ていただきました。
その際、自民党綾部支部として5万円の支援もいただきました。
この招聘は募金で30万円、私のポケットから70万円という財政状況でしたので涙が出るほど嬉しかったです。😢
その四方府議から現在の京都自民党の問題を多々伺い、京都市民としてニノ湯候補応援を心に決めました!
11月でしたか、寺町通りの横井小楠殉節の碑を久しぶりに拝みに行った時、かなり汚れていたので、四方府議、ニノ湯府議に綺麗にしたい!と呟いたところ、ニノ湯府議から「京都市の管轄では?」との反応。
早速京都市に電話したところ、今は存在しない「京都市教育會」が1932年に建てたものなので、自由に掃除して良い、許可もいらないということでした。「京都市教育會」は1902年に創立。
京都市に市民として清掃の依頼をする可能性もありそうでしたが、役所への申請手続きに使う時間とエネルギーを、清掃に使おうと雑巾を持って行うことに決めました。
しかし、気が狂ったお婆さんが変な事をしていると思われると嫌ですし、最近笹川平和財団とパラオ政府からそれこそ濡れ衣を着せられ誹謗中傷されたので、自分が主宰する「インド太平洋研究会」主催にさせていただきました。
一応、四方議員とニノ湯氏にご連絡したところ、横井小楠に関しても非常に関心を持たれたようで、ニノ湯氏から少ない時間ですが寄らせてもらいますとの回答!
で、今日に至ります。
まさか本当に来ると思わなかったし、かなり濃い話を、石碑を磨きながらしました。特にアジア主義について。。
インド太平洋というのはさまざまな議論がありますが、後藤新平の大アジア主義はトルコやペルシャまでカバーしています。後藤の師が安場保和、安場の師が小楠です。肝心の点が「自由で開かれた」。アジアの事はアジアの人々が決めるが西洋人を排除するものではない、という姿勢です。
孫文(私は間違えて蒋介石と言ってしまった)の大アジア主義と頭山のそれは違っていた話なども私がしました。三輪公忠著「日本・1945年の視点」のアジア新秩序の理念と現実、地域的普遍主義から地球的普遍主義からの引用です。
小楠殉節の石碑は90%以上、ニノ湯さんが綺麗にしてくれました。しかも最後まで付き合ってくれました・・
ニノさん「ずいぶん綺麗になりましたね。文字が読めるようになった」
早川「もうこれで終わりにしましょう。これ以上やると老婆は病気になりそうです。春暖かくなって市長としてまたご参加ください!」
追記:
より
この京都市教育会は、1915~1939年にかけて、京都市域各所に史蹟碑を約80基建立しています。
その大半が現存し、われわれに歴史を啓発しつづけているのです。
たとえば、
【古代】大学寮跡、菅原道真邸跡、東三条殿跡、閑院内裏跡、法成寺跡、法勝寺九重塔跡など
【中世】平氏六波羅第跡・六波羅探題跡、法住寺殿跡、藤原定家京極邸跡、二条富小路殿跡、室町御所跡など