横井小楠の公共、じっくり学びたいところだが、表層をなぞっただけ。メモだけ取っておこう。時間ができたらじっくりと勉強したい。実は一つ目の博論のユニバーサルサービスの議論にもつながる。
同志社の図書館を検索していたら出てきた書籍
『横井小楠 公共の政を首唱した開国の志士』
2007年6月に開催された第75回公共哲学京都フォーラム「横井小楠と公共世界」で発表された論文をまとめたものである。もちろん、源了圓先生も出てくる。
各人の論文をゆっくり読む時間がないので目次だけ。
小楠の思想形成に関わる伝記的検討 松浦玲
小楠の「大学講義」 田尻祐一郎
近世儒学における「公共」概念の歴史的検討 平石直昭
小楠の経済認識と経済思想 川口浩
幕末小楠の世界認識と課題認識 源了圓
総合討論
「小楠問題」を語り直す 姜海守
総合討論だけ斜め読みをした。
「公共」が日本でどのように語られてきたか?東アジアと西欧の違い、などが議論されていて興味深い。公共哲学が専門の先生たちのようだから「公共」とは何かという議論は整理されているのだろう、と思ったらそうではなかった。
西欧の「公共」はハーバートマスとアーレントの議論に行き着くというのは知らなかったので、アーレントの「公共」の議論は読んでみたい。publicの語源も。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/59262/1/06imadearendt.pdf
追記:
『横井小楠 公共の政を首唱した開国の志士』を閉じようと思ったら「おわりに」の章が渡辺崋山と横井小楠の比較論でかなり中身が濃かった。
崋山が欧州を認識したのが1830年代。アメリカ独立などあの頃の欧州の動きを抑えていた。小楠が欧州を認識したのは1850年の20年後。1850年と言えば「帝国主義」の植民支配が隆盛した頃だ。小楠は開国を指示しても、この帝国主義、パワーポリティクスを批判している。しかし水戸学の皇国論は小楠のこの理論を忘れ、日本は帝国主義、パワーポリティクスに参加することになる。
帝国主義の植民政策は再度矢内原を読んで確認したいが、このフォーラムを主催している金泰昌氏は韓国人で、日本併合、植民への批判的立場が明確だ。日本が国家を形成した背景に水戸学がある、韓国にはなかった、との見解は興味深い。元韓国陸軍参謀総長黄永時大将が日本(新松戸)に滞在し水戸学を学んでいた頃、金氏も松戸にいて電車通勤をしていたという。金氏は東大法学部へ、黄氏は国会図書館に。1990年だそうだ。冷戦終結後、世界は動いていた。