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横井小楠殉節の碑を建てた「京都市教育会」:教育会を知らずに日本近代教育は語れない

2023年12月17日、インド太平洋研究会として、京都寺町通りにある横井小楠殉節の碑の清掃を実行した。京都市長選挙の二之湯候補から寄らせてもらいます、との連絡をいただいた。

外交辞令で来ないだろうと思っていた。が、本当に来てくださり、北風に凍える私を横目にほぼ二之湯候補が小楠の碑の清掃をしてくれたのである。

 

二之湯さん「京都市教育会っていつできたんでしょうね」

私「京都の歴史研究家、中村武生氏によると1902年創立。この碑は1932年に。政府組織ではないと言うことなので、元祖NPOみたいなものでしょうか?今批判されている公金チューチューではなく、京都の篤志家がお金を出して講演会、勉強会、通俗事業(史跡、碑の建設用なコミュニティ活動)をしていたようです。」

二之湯さん「今のNPOみたいなものですかあ」

 

私が3つ持つ修士号。一番目は教育学である。興味があって資料を読み進めていたら・・・

ナ、ナ、ナント!この教育會こそ、日本の近代教育制度運営を担う重要な組織なのだ。現在のコミュニティスクールやPTAの問題も全て出発点はここにある、と言って過言ではない。

幸い梶山雅史教授が「教育會」に関する研究会を2000年当初(2004年7月東北大学)から開始し、膨大な資料をもとに、多くの論文が発表され、議論されてきた。そして本も出版されている。

1年くらいかけて集中して読み込んで、初めてメモが書けるレベルの内容である。しかし二之湯候補に

NPONPOでもただのNPOではありませんでした」

と言うことを伝えるべく簡単にスペースで取り上げたい。

明治と共に日本の社会構造がガラっと変わる中、新しい政府主導の教育制度に対して「常に」民間の中から教育運営、内容、制度に関する議論、情報交換が行われてきた。政府は「五箇条の御誓文」の「広く会議を興し万機公論に決すべし」に沿って、民間の関与を推進してきた。

各都市にできた教育會はその設立も発展の経緯も様々で、地域の背景やニーズを反映したものであったようだ。

他方、自由民権運動の影響を受けた教員たちに対する圧力。戦争中の国民総動員への協力など常に時代に反応してきた組織であったようだ。

今晩から三回ほど、梶山雅史教授が編集された著書の中から、文章を読み上げる形で紹介させていただきたい。

梶山雅史 編著 「近代日本教育会史研究」 2019年5月刊

梶山雅史 編著 「続・近代日本教育会史研究」 2010年10月 

スペースで 「近代日本教育会史研究」から読み上げています。

 

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