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もう片務的同盟とは言わせない!日本海軍インド太平洋派遣IPD22

  

左から恩師渡辺先生、2020年3月に亡くなられた平間先生、香川でうどんをご馳走していただいた高嶋海将。私の背中を押してくれた人は山ほどいますが(足をひっぱた人も多いが)日本海軍のインド太平洋派遣を前に動かしたのは、この3名の方との出会いが大きい。米豪はまた別のブログで書きます。

 

1997年に開催された第一回島サミットで南太平洋大学のUSPNetを日本のODA 案件にしたのは私である。ワンオペで、笹川陽平は一指も触れていない。電気通信大学の小菅教授、田中教授のご協力を得たが、このハイポリティクスの情報通信政策は当時のPIF事務局長タバイ氏と南太平洋大学ソロファvice-Chancellorを私が一人で説得した結果である。日本のODA案件にしたのは私一人の判断と行動である。

こうやって書くのはいやらしいと自分でも思うが、何もしていない、何も知らない笹川陽平の功績になることはミャンマーの悲劇や、パラオの犯罪社会構築つながるのではっきり書いておきたい。

こんなデカイ事業は人生に一回でいいはずだ。ところがインド太平洋の安全保障を動かす機会が2008年に回ってきた。これもワンオペで、笹川陽平も、財団職員の誰一人として関与していない。これもミャンマーの悲劇の二の舞をさけるためはっきり書いておきたい。

ワンオペのミクロネシア海洋安全保障事業は笹川陽平の名誉欲と国交省日本財団の造船・天下り利権を背景に私が立ち上げたが、私には独自の目的があった。それは冷戦終結以降、日本の安全保障政策「樋口レポート」を書かれた恩師、渡辺昭夫教授(東大名誉教授)のご指導の下で培ってきた日米同盟とアジア太平洋(今はインド太平洋)の安全保障の改革である。

米国は日本を守るが、日本は米国を守らないという片務的同盟の改革を頭に、ミクロネシア海洋安全保障を立ち上げた。申し訳ないが海上保安庁は当て馬として使わせていただいた。いつか海上自衛隊日本海軍が出てくる道筋を作っているという認識は2008年から私の頭にあり、渡辺先生には事業の進捗を報告し、常にご意見を求めてきた。平間洋一先生(防衛大学教授)、高嶋博視海将との出会いも大きかった。それは日本の自衛隊をインド太平洋に出していいのだろうか?という自問が常にあったからだ。

海上自衛隊が大きく動いたのは2018年の第8回島サミットで海洋安全保障とインド太平洋が議案に入ってからである。これも、古屋圭司議員が会長をされている島嶼議連・海洋議連に私が講師として呼ばれ提案た結果である。古屋議員、衛藤議員、はじめ私の提案を聞いていただいた国会議員の皆様には心から感謝している。このきっかけを作ってくれた評論家・江崎さんにも。

続いて米国の国務省、インド太平洋司令軍、防衛省から連絡があり協力依頼を受け太平洋情報を提供してきた。

2021年の第9回島サミットでも海洋安全保障は議案にあがり、2021年海上自衛隊のインド太平洋派遣は太平洋島嶼国を訪問することに。この時も相談を受けた。パラオ演習で大統領まで出てきて歓迎されたのは、私の関与があったからである。高慢と笑うなかれ。こちらは全てボランティアで命を削って動いてきた結果である。

太平洋の情報通信改革に続いて、インド太平洋の海洋安全保障を動かす事となった。女の60年の人生でこれだけやったので、もう静かにしていたのだが、それは許されないと太平洋の島の伝統的大酋長からSNSのメッセージが来ている。