インド太平洋研究会 Indo-Pacific Studies

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憲法9条の変遷と海上保安庁法25条の矛盾と日米同盟の限界(最終案)

公開2日目で視聴回数7万に超える上記動画は、昨年9月インド太平洋研究会有志が提案した海上保安庁法25条削除を含む日本の国防制度の危機を明らかにしています。特に領土担当大臣であられた衛藤晟一議員の発言(15:15辺りから)は全国民が知るべき事実です。下記にこの25条の問題の深刻さについて追記させて戴きました。

 
憲法9条の変遷と海上保安庁法25条の矛盾>
 
憲法9条2項の「戦力不保持規定を厳格に解する」という状況で策定された海上保安庁法25条は、死文化しており、この条項にレゾンデートルを見出そうとする海保の職員の立場は受け入れることは困難です。海保職員が法制を独自に解釈し主張する態度は戦前の軍部の動きを彷彿させ、議会制度を蔑ろにするものともいえます。
 
海保法25条が根拠とする憲法9条を巡って「憲法の変遷」があったという立場です。以下説明させていただきます。
海上保安庁創設時の憲法9条は
主権国家としての軍事力を放棄し、国の防衛は国連の安全保障体制が機能する事を前提とした規定
②2項の戦力不保持規定を厳格に解すると、治安での武装はもちろん、日本は船や車両、航空機等手段も禁止(実際、米国の一部で日本は軽工業しか持たせるべきでないという意見もあり)
③ 一方で2項に「芦田修正」が設けられる事により、将来の再軍備ができる、とみなされたので極東委員会は大臣の文民条項を要求し、憲法66条に追加されました。
④ ②を背景に、学術会議は軍事研究の禁止を宣言し、海保創設時においては、軍事組織でないことを明記せざるを得なくなりました。
朝鮮戦争により、戦力不保持の状況は一変し、警察予備隊(準軍事組織)が設けられ、海保は朝鮮半島海域で機雷処理に従事→これは占領下とはいえ、憲法秩序の中で行われているので、この段階から「憲法の変遷」が始まったと解釈できます。
⑥ その後、保安隊を経て1954年に自衛隊法が成立
自衛法によって海保も有事の際には自衛隊の指揮下に置かれる事になりました。 1959年の砂川判決では、米軍の駐留は憲法9条等の趣旨に適合し、また、憲法9条は主権国として我が国が自衛権を持つことは否定していない、として、自衛隊の存在を暗に認めました。
その後も最高裁自衛隊違憲とされる事はなく、政党、国民の多くも自衛隊の存在を認めているので、こういった一連の流れからは「憲法の変遷」があったと理解しています。
よって繰り返しますが、海保法25条は占領下で策定された憲法9条を補完する内容であり、現状にそぐわないどころか、国会議員の方達から指摘があるように尖閣はじめ、緊張の高まる世界の安全保障に我が国の国防体制が対応できないという状況を作り出しています。

 日米同盟の限界
25条で独自の地位を堅持する海上保安庁は、尖閣危機対応に必須の日米同盟を機能させません。もし海保が海自の指揮下にあれば、自衛隊の一部として日米同盟の動きにも対応できます。法執行機関である米国沿岸警備隊は、先般の小笠原での演習では第7艦隊の指揮下で行動。現在パラオ 始め、ミクロネシアで展開している日本海保安庁による法執行支援は、現地に駐在するINDOPACOM, 豪州王立海軍との連携が取れません。
 
2021年4月16日
インド太平洋研究会有志
高橋佳孝
澤間 譲治
浅岡 寧
下川原 伸一郎
近藤蓮根
坂田 昇一
森健介
早川理恵子(草案作成者)