上川外相が、今年の第10回島サミットへ向けた中間閣僚会合出席のため、フィジーを訪問することを1月のニュースで知り気になっていた。京都市長選の余韻が冷めきらずいたところ、既に外相はサモア入り。
そこで外務省が、大洋州課が知らないサモアとフィジーの歴史をXスペースで読み上げた。外務省の官僚であった兼原氏がどこかの講演でフィジーの植民地化について嘘を述べていた事が未だに忘れられない。フィジーは自ら英国に植民地になることを希望したのだ。日本語のウィキにはない。英語版には詳細がある。この史実が重要なのはドイツ、日本のミクロネシア統治は英国のフィジー植民をお手本にしているからだ。
上川外相に捧げるフィジー植民の歴史
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もう一点は1881年に日本を訪ねたハワイ王国のカラカウア王が明治天皇に提案した「アジア太平洋構想・汎ポリネシア構想」。日本は西洋列強に遠慮して辞退したが、サモアとトンガ王国(はカラカウア王の提案を真剣に検討したのである。タヒチ王国は1880年に既にフランスに主権を譲渡。インド太平洋構想専門家を名乗るのであればこの歴史を知らない事は許されない。現在のインド太平洋構想は歴史に残る日本発、安倍政権の遺産です。
太平洋訪問中の上川外相に捧げるカラカウア王が明治天皇に提案したポリネシア連合とインド太平洋構想
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読み上げたのは下記の論文
以下は偶然見つけた論文だが、いかに明治天皇が日本政府がカラカウア王を歓迎したか、王の日記を見つけたMarumotoの記事。Marumotoは日本政府は条約改正のため厚遇したと分析しているが、日本移民が既に多くいたハワイの現状を日本政府は憂いていたに違いない、と思う。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000504746.pdf
日本の対太平洋島嶼国政策に関する河野外務大臣のスピーチ (於:南太平洋大学,フィジー) ~我々「太平洋人」の AOI(碧い)未来のための3つの取組~