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<平間洋一先生追悼>『第一次世界大戦と日本海軍ー外交と軍事との連接』(3)

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第一次世界大戦で南進をすすめた秋山真之と山屋他人。日本が火事場泥棒をしたと主張する学者はこの二人を泥棒と呼ぶのであろうか?

 

平間洋一先生の『第一次世界大戦と日本海軍ー外交と軍事との連接』は序章を入れて7章で構成されている。各章を800字くらいで、まとめるのは無理なので一般人が読んでみたい!と思えるような箇所をチラ見せで書いてみたい。博士論文でかなり専門的なのだ。しかも4千円と高い。図書館で是非手に取ってみて下さい。 

 

「第一章 参戦と日英米関係」はまさに日本の第一次世界大戦が「火事場泥棒」だったのか、そうでなかったのかが書かれている。多くの学者が日本の参戦は火事場泥棒だったと書いているのだ。私もこの平間先生の本に出会うまではそれを鵜呑みにしていた。平間論文は日本の参戦を日英の外務省、海軍の4つの立場で、日本の参戦に関する情報、交渉が錯綜される詳細が書かれているのだ。これを読む限りどこが火事場泥棒なのかわからない。

そこには軍事史に疎い私でも知っている秋山真之がキーパーソンとして登場する。彼が南進に熱心であった。しかし参戦は消極的であった。逆に加藤外相は南進には消極的で参戦には熱心であった、という箇所がよくわからなかったが、秋山始め南進推進者はドイツ領であった南洋諸島が米豪に取られる事を懸念していたようだ。なぜか?これは6年前にこの本を読んだ時はわからなかった。平間先生もそこまでは書いていない。

ドイツ領であった南洋諸島で日本人はすでに商売を、貿易を主導していたのだ。天佑丸が南洋諸島を訪ねたのが1890年、それ以来日本人がこの地域を開拓してきたのである。

さて、秋山始め海軍が米豪の太平洋進出を懸念したのは日本人がこのように太平洋で既に活躍し権益を確保していた事の他に米豪における反日の動きがあったことも書かれている。米豪がこの地域に来れば既に商売をしていた日本人は追い出されるかもしれない。

ここら辺の議論は歴史の詳細を知らないと理解できない。南洋を開拓した人々は瀬戸内海や紀伊の海人達であった。これは小川真和子氏の海洋の論文を読むまで知らなかった。海軍内部では異色の北進派だった秋山が方向転換をしたのは瀬戸内海出身であること関係ないであろうか?関連の過去のブログを貼っておきます。

さて一般の人がこの第一次世界大戦に関心を持つであろう点がもう一つあります。この第一次世界大戦で南進を実際に進めたのが第一艦隊司令官山屋他人中将、皇后雅子妃殿下の曾祖父なのである。

山屋他人中将の動きはこの後の章で出て来たと思いますがこれから読みます。