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<平間洋一先生追悼>『第一次世界大戦と日本海軍ー外交と軍事との連接』(4)

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「ヤップとその属島」を誤読したオーストラリア防衛大臣、Sir George Foster Pearce KCVO (14 January 1870 – 24 June 1952). He was Minister for Defence from 1908 to 1909, 1910 to 1913, 1914 to 1921, and 1932 to 1934.

 

第2章 日英連合作戦と日英豪関連

2014年以降この章は何度か読んだが、あれから7年、今回は近現代史が少しはみえてきたので、また違った視点で読めて面白かった。そしてやはり第一次世界大戦こそが日本がインド太平洋に進出した機会である事を確信できたのだ。

ところで、第一次世界大戦は日本が火事場泥棒をしたとか、割って入った(京大の奈良岡教授)という認識が一般的な事をみなさんご存知でしょうか?私もそのようにぼんやり理解していたが、平間先生の論文はその認識を180度覆すものであった。

確かに日本海軍には南洋進出の軍事的野心があった。しかし日清戦争以来、米豪とも日本に対する警戒心を高めており、旧独領を日本に渡すことは大反対であった。

日本もその意向を感じ、占領はせずに敵を追い払うだけに留めていたが、豪州、英国の情報錯誤、作戦の杜撰さから日本海軍への支援要請は拡大し、インド太平洋、フィジーニューカレドニアまで守ったのである。

そうなると領土を一切与えない、ということは有り得ない。赤道以北の旧独領を日本が占領することのどこが「火事場泥棒」なのか?どこが「割って入った」ということなのであろう?

私はまだ奈良岡先生の御著書は読んでいない。

日本の外務省はだめだ。勉強しないし、国益を何も守ろうとしない。今防衛省がインド太平洋に積極的に出ようとしている。この平間先生の本の第2章だけでも読んでその歴史的事実を外交に利用して欲しいのだ。

たとえば、日本海軍がニュージーランド、豪州の海域に派遣された事で、ドイツ海軍は怖くて近寄れなかったとのドイツの報告書があることを平間先生は紹介している。はでな戦いはなかったので大きなニュースにもならず豪州、ニュージーランドの国民は知らされていないし、新聞も取り上げなかったのだ。

たとえば、当時赤道以北の島は旱魃で現地人に食料を確保する必要があったが豪州はその能力がなく、地政学上重要なヤップだけを確保する意向であった。しかし写真のピアース国防大臣が「ヤップと属島」を赤道以北全ての島と誤解し、新聞にも掲載した事で一度合意をしていた日英豪の信頼関係がくずれ、ヤップも日本が占領する事となった。

豪州海軍は、日本の脅威に対応するため1909年に設立が大英帝国会議で認められたのである。(80−81頁)そんなできたてほやほやの海軍の能力はたかが知れている。日本海軍の評価は低い。能力だけでなく倫理観に対しても、だ。万が一、旧独領のミクロネシア諸国を豪州が、もしくは米国が占領し、植民地にしていたらどうなったか?

それは現状を見ればだいたいわかる事である。