司会進行、明成社の和田さんからの質問。
1令和元年、日本・パラオ外交樹立 25 周年会談について ・「友人」「兄弟」両者の認識の違いはなぜ生まれたのか? どう捉えるべきか
2インド太平洋構想の基盤となった明治以来の日本の「南進」
・田口卯吉による南洋開発の志
田口が子弟を南洋に送ろうと考えた動機とは?
・田口や小嶺の間に交流はあったのか?
3第一次世界体制以降の日本による統治 ・「日本政府はオーストラリアに遠慮して小嶺の支援要請に応えなかった」(51
p)→当時の日本政府の南洋開発に対する考え方とは?
4かつて重光をはじめベストブライテストが担当した太平洋島嶼国の問題
現在は必ずしもそうではないのだとすれば、なぜなのか?
戦後の日本政府の太平洋政策において、戦前の経験は継承されているのか?
5日本の南洋開拓史から今日の私たちが学び取るべきものとは?