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第1回オフライン研究会補足1 陰謀論は死なず

ずいぶん遅くなってしまいましたが、これから何回かに分けて、第一回オフライン研究会で触れられなかったことや、発表で述べたことの補足を書いていきたいと思います。今回は、アルジャー・ヒスをめぐる陰謀論についてです。

 

 発表で述べた通り、アメリカの議会や世論がお花畑を脱して防諜を見直すようになっていく転換点が、パンプキン文書公開とヒス有罪判決でした。

 

ヒスが政府の機密書類を持ち出して、ソ連軍情報部の工作員だったチェンバーズに渡していたことを示す物証としてパンプキン文書があり、ヒスと同じスパイグループのメンバーだったヴィンセント・レノとジュリアン・ワドレイに加えて、機密書類をソ連に渡すためにマイクロフィルム化の作業を担当していたカメラマンの自白があり、そして公開されたヴェノナ文書やヴァシリエフ・ノートがあって、ヒスが工作員だったことは動かぬ事実として立証されているのですが、今なお、ヒス無実論が存在します。

 

これがもう頭痛が痛いというくらいいっぱいあります。チェンバーズが同性愛者でヒスに気があったのに相手にされず、その恨みで陥れた説(チェンバーズ自身、一時期同性愛の経験があったことを語っているのでややこしさに輪がかかる)。チェンバーズはソ連のスパイであり、ワドレイにヒスの書類を盗み出させ、愛国者であるヒスを陥れた説。FBIのフーヴァー長官がチェンバーズを手先にしてヒスを陥れた説。ヒスもチェンバーズも実はソ連の情報機関と無関係で、チェンバーズの告白は妄想にすぎなかった説。

 

全部デタラメなのですが、次から次へと出てくるのは一定の需要があるからでしょう。

 

ヴェノナ公開から20年も経った2015年にも、Joan Bradyという女流作家が『America’s Dreyfus [アメリカのドレフュス]』というヒス無実説の本を刊行し、カリフォルニア大学アーヴァイン校の歴史学の教授が称賛しています。http://joanbrady.co.uk/

 

アメリカの左翼系ジャーナリストで『ローズヴェルトスターリン』という大著を書いたスーザン・バトラーは、ヒスがソ連の工作活動に協力していたことは当時同盟国だったのだから問題ない、ヒスが工作員であろうがなかろうが、米ソ両国に多大な貢献をしたことに変わりはない、それより彼が裁判で嘘をついたために、彼を応援した人たちはバカを見させられたことが残念だ、と言って、ヴァシリエフ・ノートのヴァシリエフ氏にたしなめられています。ヒスが疑惑を否定し続けたのは工作員として当然だ、もし告白などしていたら、彼はベントリーやチェンバーズと同じように、ソ連にとって「裏切り者」になるのだ、死ぬまで信念に忠実で白を切り通したからこそ彼はソ連の英雄なのだ、と。(John Earl Haynes, Harvey Klehr, & Alexander Vassiliev,  Spies:  The Rise and Fall of the KGB in America )

 

ちなみに『ローズヴェルトスターリン』のリンクはこちらです。翻訳者も含めて、非常に興味深いですね。https://www.hakusuisha.co.jp/book/b308967.html