2023年10月、ソロモン諸島マライタ州の友人、スイダニ閣下とタリフィル氏と訪ねた綾部の仁王門。四方源太郎京都府議にご案内いただきました。
ヒーゼル神父が書かれた『ドイツのミクロネシア統治』の翻訳が校了し、息抜きのつもりで訪ねた4度目の綾部。何もぜずボーっと過ごすことができないのは悲しい運命だが今回は初めてじっくり尋ねることができた。
まず「裏日本」と表現される舞鶴、若狭、そして京都の山奥と思っていた綾部が実は日本海を媒介にした大陸との自由で開かれた窓口であったとの認識が深まった。
私が抱いてきた「裏日本」のイメージは、映画「男はつらいよ 寅次郎あじさい」で親から捨てられ、夫に死なれ、恋人に裏切られ。最後はトラさんも失う石田あゆみのイメージ。そして高倉健、田中裕子共演の「夜叉」のイメージが強い。
今回はお世話になった里山ゲストハウスクチュールさんに近い東舞鶴でレンタカーをして、舞鶴、綾部、若狭を2泊3日に渡り訪ねた。私は迷ったので1時間以上かかったが、舞鶴から綾部北部の上林は近い。15分だそうだ。上林(かんばやし)は現在過疎であるが、聖徳が立てた光明寺があり、1248年には国宝となっている仁王門が作られるほど栄えた地域である。
なぜ栄えたのか?
繰り返すが綾部は京都の山奥ではなく、日本海に面する大陸への窓口だったからと考えるのが自然ではないだろうか?綾部にある由良川も若狭湾をつなぐ大事な航路であったであろう。
奈良、京都が「自由で開かれ」でいたのは、日本海側に接する綾部・舞鶴・若狭が大陸文化を受け入れる「自由で開かれ」地域であったからに違いない。そして「自由で開かれ」文化や歴史を作ってきたのであろう。
里山ゲストハウスクチュールのホストと話している時、綾部を選んだ理由が他の「田舎」に比べ開かれているから、よそ者を受け入れる土壌があるから、というお話が強く印象に残った。
次回は・・
「自由で開かれた」綾部・舞鶴・若狭の旅<縄文のアレ>