現地で情報は見つからなかったが旅を終えてから、気合を入れて検索したところ、とんでもなく重要な縄文石棒(祭礼、呪術用の男根、ペニス)が、クチュールのすぐ近く葛礼神社にあることがわかった。しかしそれを説明する資料がウェブにはない。さらに調べると綾部市資料館が特集を出していた。上記写真の2000年の第6号である。
文書量は少ないが以下の3本の論文が掲載されている。
資料調査報告 綾部市葛礼本神社所有大型石棒調査報告
資料調査報告 葛礼本神社に祀られた大型石棒の石材について
資料調査報告 葛礼本神社境内に「栄鉾神」として祀られる縄文時代大型石棒に関する所見
2本目の論文を書かれた兵庫県の雲雀丘学園教諭である大下明氏は、論文の最後に私見と断って、葛礼神社にある縄文石棒の重要性を強調。地元の理解と予算があればレプリカを、と提案している。縄文石棒は東北に多く、近畿地方でこれだけの完成品、しかも傘が2つあり、1メートル近くあり、完璧な形であるのは珍しく、全国から貸し出しの依頼があるであろう、とのことである。石棒は祭礼のためか焼かれて壊された状態で見つかるケースが多いらしい。この縄文石棒は以下の「由良川 考古学散歩57」によると、安産や子育ての神様として地元の信仰を集めているというが、クチュールさんは知らなかった・・灯台下暗しで地元の文化歴史は意外と知らないのだ。大下先生は重要な遺跡として村おこしにもなる、と提案しているが、「葛礼神社縄文石棒」というお札を作って売れないだろうか?
クチュールさんだけ責めるのは気の毒なので、以前泊まったオリジンさんが知らなかった鳥垣古墳群が隣にある坂尾呂神社にあるそうだ。さらにその南の吉水という民宿の近くにも鳥垣古墳群があるという。これも報告書が出ているような気がする。
縄文時代に石棒がどこから、何のためにもたらされ、5000年という年月を上林で過ごしたのか?小型の古墳群は誰のものか?
考古学好きにはたまらない綾部だが、地元の人が知らないのは、惜しい。
*由良川 考古学散歩57*
*子安の神*
子安さまは、神道では子安明神、仏教では子安地蔵や子安観音というお姿で表わされることが多く、一般に「子安さま」と呼ばれている。子安さまの守備範囲は、子授けや安産を祈るばかりでなく、乳の出から子育てまで含めてかなり広い。その性格からご婦人方の信仰を多くあつめている。葛礼本神社の子安神のお姿を見て驚いた。それはまさに、今から五千年程前の縄文時代中期という時代に作られた石棒(せきぼう)という石器そのものなのである。『中上林村誌』によると「以前は風雨にさらされていたものを祠に祭った」とあるから、何かの加減で出土したものを子安神として祭ったものと思われる。上林地域は由良川考古学散歩の二回目でも紹介したように、不思議な形をした縄文時代の石器が多いところでもある。
縄文時代の石棒とはどんなものなのか。一般には一端もしくは両端がふくらんだ棒状の石製品をいう。縄文時代中期の石棒は大型で、二㍍を超すものもある。しだいに小型化して片手で持てるようになっていく。中期の大型石棒は住居の中や広場の真ん中に立てられたりしていることや、石棒自体が男性性器を連想させるものであることから、呪術的・信仰的な用途をもつ遺物だと考えられている。
この大型石棒が近畿地方で出土することはあまりなく、数点しか知られていない。最近になって兵庫県北部で石棒を作っていた遺跡が見つかった。そこの石棒の特徴はふくらんだ部分が二段になっていることにある。中上林の石棒も同じ特徴をもっており、関連があると考えられる。
五千年の時を超え、今なお多くの人々の信仰を集めているこの石棒、どれだけ多くの願いをかなえてきたのだろう。 (三)
(『舞鶴市民新聞』(99.2.22)) https://tangonotimei.com/ikrg/mutuai.html