インド太平洋研究会 Indo-Pacific Studies

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太平洋島サミットと海洋安全保障(2)

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ニューカレドニア にはためく旭日旗

 

1997年に開始した太平洋島サミットに海洋安全保障が議案に入ったのは2018年の第8回からであり、私が2つの議連(海洋議連・島嶼議連 会長古屋圭司衆議院議員)に呼ばれ太平洋の海洋安全保障の現状を報告し、島嶼議連が速攻で政府に提言を出された事は以前書いたとおりである。

太平洋島サミットと海洋安全保障 - やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

 

1997年に島サミットが立ち上がった本来の理由は、海洋安全保障、なのである。それも日本が太平洋の海洋安全保障を脅かす立場で、太平洋諸島フォーラムが強行に批判してきたのだ。

何があったのか?

1992年頃から開始したプルトニウム輸送だ。

「本年秋にフランスのラ・アーグ再処理工場から日本の東京港に向けて約1トンのプルトニウム海上輸送が、動力炉・核燃料開発事業団により、実施されようとしている。」

日本弁護士連合会:プルトニウムの海上輸送実施に際して  日弁連も声明を出している。

信じられないという人がいれば、太平洋諸島フォーラムの議事録を確認すればよい。それが面倒な人がいれば、抜き出した資料を私が以前作成した。

太平洋島サミットと日本の原発政策(2) - やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

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1997年は橋本内閣の時で、外務省の石川薫氏が動いていた。外務省外郭団体の国際問題研究所は、東京電力平岩外四氏を会長に迎えていた時期がある。島サミットは外務省と電気事業連合会が、2009年までは主宰してきた。なお初回の島サミットの主要ODA案件となった南太平洋遠隔教育ネットワークUSPNetは私が一人で調整し、働きかけた事業である。一つ目の博士論文をこの件を中心に書いた。

そもそも日本の太平洋島嶼国政策は、1980年代に問題となった核廃物海洋投棄がある。これも一つのきっかけにラロトンガ条約、南太平洋非核地帯条約ができたのである。そして1985年中曽根総理の太平洋訪問、倉成ドクトリンと続く。中曽根総理の前、1980年に太平総理がパプアニューギニアを訪ねている。大平総理の環太平洋連帯構想の英文標記はPacific Ocean Communityで「海」を意識していた。

安倍首相の太平洋訪問に向けて(8)大平総理のパプアニューギニア訪問 - やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

 

大平総理のPacific Ocean Communityから50年弱が過ぎ、やっと日本がインド太平洋の海洋安全保障に乗り出すことになったのである。環太平洋連帯構想の島嶼国の部分は、渡辺昭夫先生のご担当であった。