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 主権とは?美濃部達吉の憲法講話より

主権とは何か?国際法を、国際政治を学びながらこの言葉の定義を知らない。

音大出の私は、元々太平洋島嶼国の「国歌」について博士論文を書くつもりが、情報通信や海洋問題を学術研究の対象としてきた。しかしそこにも国家主権の問題がある。

以前、関根萬之助著 「主権の概念について」を紹介した。ここで触れている尾高・宮沢論争の「ノモス主権論」は主権概念(君主主権、国民主権、国家主権)の実態の混乱がある事を指摘している。


この件が気になっていたが美濃部達吉憲法講話に書かれていたことではないだろうか?以下にコピペしておく。なおこの憲法講話は現代語に訳され百円位でキンドルの入手できます。

 

主権

主権の第一の意義 

統治権の事を述べる前に主権という言葉について一言しておきます。主権という言葉は従来いろいろな意味に用いられていまして、よく混同を生じる恐れがあります。主権という言葉は本来英語の「ソヴェレヌチー」という言葉を訳したもので「ソベレヌチー」というのは、本来は「スプリームネッス」即ち「最高」とか「至上」という意味であります。前に述べた通り、国家は最高の権力を有しているもので、すなわち自分以上に自分を支配する権力の無いものでありますから、この性質を表すために国家の権力は「ソヴェレン」である「スプリーム」である、最高というのであります。すなわち、主権とは最高権という意味で、詳しく言えば、自己の意思に反して他から制限を受けない力ということであります。

主権の第二の意義

このように主権という言葉は一転して統治権という言葉と同じ意味に用いられることが普通でありまして、世間一般では統治権というよりも、主権という方が広く知られているようであります。しかしながら、最高権ということと、統治権ということとはまるで違った意味であり、混同しないように注意することが必要であります。統治権というのは、人に命令し強制する権利であり、最高権というのは、他から命令されない力をいうのであります。主権という言葉が常に統治権と同じ意味に用いられることは、現時点では一般的でありますから、強いてこれを排斥する必要もありませんが、ただこの意味においての主権、すなわち最高権は違った意味であることを忘れてはいけません。

主権の第三の意義 

主権という言葉は更に第三の違った意味に用いられることがあり、これが世間一般では普通であります。それは、国家内において最高の地位にある機関の事を言い表すために用いられる場合であり、あるいは君主は主権者であるといったり、または主権は国民に属すといったりするようなことをいうのです。これも一般的に使われている用例で、西洋諸国の憲法には、憲法の明文の中に主権は国民に属すとか、君主に属すということを規定しているものも少なくないし、通常の日本語としても、君主が主権者であるということは常に用いられている言葉であります。しかしながら、この意味における主権は前に述べた第一の意味または第二の意味の主権とはまったく異なった意義に用いられているので、この場合の主権というのは、ただ国家内における最高機関の地位を言うのであります。前に述べた第一の意義の主権は、国家の権力それ自身が最高であることを言い表すものであるが、この第三の意義においての主権は国内において誰が最高の地位にいるかを言い表すもので、主権が国民に属するというのは、国民が国家の最高機関であることをいっているのであり、君主が主権者であるというのは、君主が国家内において最高の地位にあるといっているのであります。この意味においての主権は、第二の意味の主権、すなわち統治権という意味とも、全く違ったもので君主が主権者であるというのは、決して君主が統治権の主体であるという意味ではない統治権は国家の権利であって、君主の権利でもなく国民の権利でもない、統治権は国家という全団体の共同目的を達するために存在する権利で、その団体自身が統治権の主体と認めることは当然であります。君主が主権者であるというのは、ただ君主が国家の最高機関であって、国家内において最高の地位を有する者であることを意味すると解すべきであります。主権者という言葉は、極めて普通の言葉でありますから、その言葉を使用するのはあえて差支えはありませんが、ただその意味を正確に理解することが必要で、決して統治権の主体という意味に解してはならないのであります。 国家の性質についての説明はこれくらいにして、次に政体ということについて説明いたします。