ジェームズ・ミッチェナーのミュージカル「南太平洋」が第二次世界大戦を題材とし、日本の戦闘機がやってくる場面で始まる事をオーストラリアの友人に指摘されて初めて知ったのが20年程前。
ずっと架空の物語と思っていたのですが、連合軍が駐留したバヌアツのサント島を舞台にし、「バリハイ」というミステリアスな歌は今回サイクロン被害が大きいサント島からAmbaeという隣の島を歌っている事を知ったのは、博士論文でバヌアツをケーススタディに選んだ10年前。ミッチェナーがこのバヌアツに滞在していた事もその時知りました。
ソロモン諸島ガダルカナルで日本軍の飛行場建設が進み、米軍は約千キロ南東のサント島に軍事基地を設置したのです。その軍基地はパールハーバーに継ぐ軍事資材補給基地となり4万の部隊と50万人の人員が駐留していました。サント島にはその時建てられた蒲鉾型の建物が未だにあります。そして淡水レンズとよ呼ばれる珊瑚で形成される豊富な水資源も。
中国人民解放軍が放っておくわけありません、ね。
余り軍事史は関心がないのですが、このサント島で捕虜となった日本軍が虐待を受けていたことを、バヌアツの国父ウォルター・リニの自伝に書いたあったため、現地調査の時にその収容所を見学しました。その時、このオンライン講座の寄付先として現在サント島でサイクロン被害支援をしているマユミ・グリーンさんにお会いしたのです。
ウォルター・リニの自伝 "Beyond Pandemonium - from the New Hebrides to Vanuatu"(1980)には、連合軍がサント島の収容所でいかに日本人捕虜を酷く扱ったを、リニの父親が戦後もずっと語っていた事が書かれているのです。私はそんな事実も知りませんでしたが、この国父の自伝にわざわざ書かれている意味に興味を持ちました。独立の話もこの後書きますがバヌアツ人にとって白人による人種差別は根幹的な問題なのです。
"My father still talks about the bombs that the Japanese dropped on Santo and still remembers vividly the concentration camp where the Japanese were kept and ill-treated."
"Beyond Pandemonium - from the New Hebrides to Vanuatu"より
サント島には4つあった捕虜収容所の内、小さなコンクリートの建物が2つまだ残っていました。ここの収容能力は限界があるので順次ニューカレドニアやオーストラリアに日本人捕虜は送還されたとのこと。ウィキにはガダルカナルの戦闘能力のある日本軍は600人とあるのですが、何かの間違いですよね!
ミッチェナーのミュージカル「南太平洋」。バヌアツの歴史を知ると気楽に観る事ができなくなってしまいます。
次はバヌアツから話が若干逸れますがミッチェナーの話を。彼は戦後日系女性と結婚しているのです。