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バヌアツサイクロン被害支援<オンライン・バヌアツ講座>3

1980年、バヌアツ=我等の土地 という国名と共に独立を果たす以前、この国はニュー・へブリデス諸島と呼ばれていました。

誰がつけたのでしょう?

ジェームズ・クック船長です。へブリデス諸島はクック船長の母国スコットランドの北西にある島です。

バヌアツは南北にY字型に島々が連なります。1774年にクックが名前を付ける以前、これらの島々が統一された形跡はありません。100以上の部族が争い合っていたのです。クック船長がこの国の地理的枠組みを作ったとも言えます。

リソルーション号による2回目の航海でクックはバヌアツの島々に合計45日間滞在し、各島の情報を収集すると共に地図を作製したのです。この地図の作成が重要で、ニュー・ヘブリデスの命名と共に英国が領土獲得、植民地とした根拠になりました。切手は1974年にクック船長が「発見」したニュー・ヘブリデス諸島200周年を記念したもので、リソルーション号が各島をなぞるように訪ねた事がわかります。

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クック船長がバヌアツを訪れた6年前にはフランスのルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンビルが世界一周の航海の途中、この地にやってきました。ブーガンビルはバンジージャンプで有名なペンタコスト島の名付け親です。しかし彼らの訪問は現地人に歓迎されず、そそくさとその地を離れました。その後、西へ向かい、さらなる島々を「発見」。今はパプアニューギニア自治領になっている島、ソロモン諸島の一番大きな島にブーガンビルの名前をつけました。

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ブーガンビルが1768年にバヌアツを訪ねた切手。発行が1999年になっているので何かを記念して、ではないと思います。3枚綴りの方の切手はフランス語でコンドミニアム・ニュー・ヘブリデスと書かれペンタコスト島のバンジージャンプを取り上げています。ニュー・ヘブリデス時代は英仏の共同統治(コンドミニアム)がされていました。


クックとブーゲンビル、二人の軍人の大航海を支援したのが時の国王、ジョージ三世とルイ15世です。英仏が植民地を争った7年戦争のすぐ後に太平洋への航海が行われたのです。ヨーロッパの国家間で行われてきた資源獲得と啓蒙(Enlightenment)・科学の発展が二人の航海を動機付けたと言ってもいいでしょう。見つけた切手は1768年にルイ15世がコルシカを制服した200周年記念と、1788年にジョージ三世がオーストラリアのニューサウスウェルズを植民地とした200周年記念。

インド太平洋の足跡を残した英仏の偉大なる植民地の歴史です。2022年には是非日本の南洋統治百周年切手を発行して欲しいものです。

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スペイン、ポルトガルがヨーロッパの大航海時代の幕を開けた約百年後。1606年にスペインのPedro Fernandez de Quirosと Luis Vaez de Torresがバヌアツ北部を訪ねています。その時、今回サイクロン災害が大きかったサント島を見つけEspiritu Santoと名付けました。しかし現地人から敵対的対応を取られ、早々に島を離れました。Quirosは帰途に、Torresは西に向かいオーストラリアとパプアニューギニアを挟む海峡を渡りました。ここがトレス海峡です。しかしトレスはこの海峡の南に探していた"Terra Australis Incognita" =「未知の南の大陸」であったとは気がつかず、バヌアツのEspiritu Santoがそれであると思っていたのです。

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