インド太平洋研究会 Indo-Pacific Studies

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片桐康夫著『太平洋問題調査会の研究』その2

3月23日の第1回オフライン研究会

「太平洋問題調査会とコミンテルン — VENONA文書から読み解く」

に向けて「太平洋問題調査会」とは何のか?片桐康夫著『太平洋問題調査会の研究』から少しずつ紹介しています。

片桐先生のこの著書は2003年に出版されていますが収録された論文は1979年から2000年の20年間に渡る研究の集成のようです。その分、参照された資料の分量はすごい。ここにリストされる資料だけではないはずなので、相当な一次資料も含むご研究をされてきたことがわかります。そしてこの業績を後に続くものが生かさなければ、とも思いました。

まえがきには先行研究のことが完結にまとめられています。米国のIPR研究がマッカーシズムを中心としたものであること。日本は自由主義的知識人を考察の対象としたり、緒方貞子氏の国際主義団体としての研究がある。

その上で、片桐研究は、日本IPRを外交史や国際NGOの視点から系統的に考察しよう、というものだそうです。

同書は、IPR形成までの動きに1章。2−9章はIPRの第一回ハワイ会議から第七回バージニア・ビーチまでの会議がまとめられています。そして補講として朝鮮代表権問題。満州国承認問題。イギリスがIPRを中国政策にどのように利用したかがまとめられています。

IPR設立の発端が1919年であることが書かれていますが、1919年と言えば第一次世界大戦終結の年で、なぜそこにYMCAが動くのかまでは書かれていません。

第一回会議が開催される1925年までの6年間、当初宗教的目的を持った動きが、徐々に一般的になっていき、IPRはYMCAから独立した団体へとなって行く様子が書かれています。それは当初太平洋における宗教的活動になるべく多くの社会に影響力を持つ、関係者を巻きこうもとしたことの結果でもあるのでしょう。その背景には東西間の軋轢に対処するために「正確な情報交換と冷静な討議」が重要と信じられていたとも書かれています。

IPRが1961年まで活動を続けた背景には、国際情勢の深刻化がIPRに政治的性格を強めたと同時に、科学的調査、友好親善、相互理解と言った「素朴」な目的を自由主義的国際主義者が維持しようとした所産である、と片桐氏は結んでいます。

ここは若干反論があります。科学的調査、友好親善、相互理解が「素朴」な目的とは思えないし、自由主義的国際主義者が様々なイデオロギーを持っている可能性、危険性はないのでしょうか?

この本全体を通して著者の視点がなんとなく言葉が悪いのですが「お花畑」的な印象を持ちました。